「枯れること」と「緩和ケア」

家の裏で小さな畑をしています。今、夏草たちが枯れ、草木が土に還っていく姿がみられます。そして土の中では春を待つ種や宿根が眠っています。
収穫してもすぐに刈り取らずに種が取れるまで待つ、枯れるまで見守る。そうすると、草木がとても穏やかに過ごしているように感じられます。

最期を迎えるとき、草木が枯れるようにゆっくりとした経過をたどる方がいます。
老衰ではないけれど、老衰のように穏やかに亡くなる方がいます。
そんな方の多くに共通することは、ある時点から必要以上の人工的な医療が介入していません。
冬になると草木は自然に根から水分を吸い上げなくなり、葉での光合成や呼吸を減らしていきます。そして徐々に体を軽くしていきます。
人もまた、同じです。

もちろん最期のときまで、つらい症状は取り除き、最期まで、生活を支える、生を支える医療は介入します。それは緩和ケアです。
医療の目的は「人を幸せにすること」で「病気を治すこと」だけではないのだろうと思います。もちろん病気が治ることで幸せになれる場合は、それが医療の目的です。
でも「病気を治すこと」だけが医療の目的であれば、治らない病気にかかった場合、医療はどうすることもできなくなってしまいます。
人を幸せにすることが医療の目的であれば、治らない病気であっても、死に直面しても医療は力になることができます。
それは緩和ケアです。

畑をしながら、人も草木も本質は同じなのだと感じます。
緩和ケアの心を草木に感じる冬です。

(トランジション藤野 かわら版 第23号 2012.1.18発行に掲載したものを一部改変)

Follow me!

前の記事

講演

次の記事

講演